アナウンサーは泣いてはダメなのか。NHK“朝ドラ受け”の鈴木奈穂子アナの涙に、局アナ経験者が感じたこと

あさイチで司会を務める鈴木奈穂子アナウンサー

11月25日放送のNHK『あさイチ』のオープニングがネット上で話題となった。

司会を務める鈴木奈穂子アナウンサーが、直前に放送されていた“朝ドラ”の内容に涙し言葉が出なくなったのだ。

視聴者からは「鈴木アナの涙でさらに涙腺崩壊」「泣いていいよ」など様々な声が寄せられ、Twitterで日本のトレンドになるなど反響が広がった。

これまでも度々話題となってきたNHKの“朝ドラ送りと受け”、アナウンサーが番組で感情を露わにすることについて、局アナ経験者として改めて考えてみた。

鈴木アナの涙を受け止めた「3人」の神対応

まずは、話題のシーンを振り返る。午前8時15分の放送開始直後、同じく司会を務める博多華丸・大吉さんとともにスリーショットで画面に登場した鈴木アナは冒頭から泣いていた。

鈴木アナの第一声は「ダメだもう」。放送中のNHKの連続テレビ小説『カムカムエブリバディ』の衝撃的な内容を受けて、口元を押さえながら憚らずに泣いていた。

すると、様子を察した博多大吉さんが次の瞬間、「一度ニュースセンターに振ってみましょうかね。ニュースセンターの方、まだいない?」と一言で視聴者の笑いを誘った。スタッフからも笑い声が聞こえていた。

なんとか鈴木アナが「今日のゲストはIKKOさんです」と紹介すると、IKKOさんはお馴染みの「まぼろし〜!」の一言でスタジオの空気を更に明るくした。

この一連の流れに対し、Twitterでは「大吉さんの対応が面白すぎる」「大吉さんの優しさが垣間見えた」「さすがのIKKOさん」「最後全部かっさらっていった、IKKOさんありがとう」と対応を称賛する声が止まらなかった。

鈴木アナの涙に対しても、大方の視聴者は理解を示していた。

「見てた人は鈴木アナのようになると思う」「鈴木アナにもらい泣きした」「泣いた鈴木アナを上司は怒らないで」などと多くの視聴者が共感する声を寄せていた。

“朝ドラ送り・受け”は、1つの「コンテンツ」

過去にも幾度となく話題となってきた、NHKの“朝ドラ送りと受け”。

馴染みのない方に簡単に説明をしておくと、朝ドラ直前の番組と終了直後の番組で、ドラマの内容に触れる(言及される)ことだ。

直前の番組「おはよう日本」では主に高瀬耕造アナウンサーのコメントが、直後の番組では鈴木アナを含めたMC陣の感想が、それぞれよく話題となっていた。ドラマのみならず、このやりとりを楽しみにしている視聴者もいる。

“朝ドラ送り・受け”は1つの「コンテンツ」なのだと、筆者は考えている。

というのも、視聴者に完全にドラマの内容に集中してもらいたいのであれば、前後の番組との流れを切る意味で、ドラマの放送枠の前後に例えば5分間程度のニュースを一度挟んでもよいだろう。

だが、NHKはそのような番組上の編成を組んでいない。むしろ、ニュース番組から朝ドラ、そして情報番組につなげるこの流れをあえて作っている。民放のようにコマーシャルを入れる必要がないことも、これを成立させられる一つの理由だ。

NHKの番組編成は、朝ドラに対する期待感や共感(感想)を生みやすい流れを意識的に作っている。とすれば、“送り”や“受け”をするアナウンサーについては、情報を正しく伝達する役割に加えて、朝ドラへの期待や感想を伝える、いわば「代弁者」としての役割も担って当然だと筆者は思う。

NHKの鈴木奈穂子アナウンサー

アナウンサーの「涙」に対して思うこと

鈴木アナが番組中に涙する姿を見て、過去に民放放送局のアナウンサーとして働いた経験のある筆者が改めて考えたことがある。

アナウンサーは涙してはいけないのか、という問いだ。

筆者も放送中に涙した経験が2度ある。最後に涙したのは、自身の局アナとしての最後のラジオ番組の放送だったと記憶している。「泣かない」と決めてはいたが、リスナーからの温かいメッセージに最後は堪えきれなかった。

だからこそではないが、先の問いに対する私の考えは、「アナウンサーだって泣いていいじゃないか」というものだ。

もちろんこれは状況等によって異なり、場合によっては、涙を流すこと自体が視聴者への情報の伝達を邪魔する不適切なものとなり得る

例えば、仮に大地震が発生し、冷静に情報を伝えるべき役割のアナウンサーが恐怖で涙を流してしまったら、人命に関わる情報を正確に伝えきれない。

だからこそ、私自身も過去、パーソナルな話が相応しい番組以外では基本的に個人の様々な感情を切り離して情報を伝えていた。

「言葉で、情報や事実を正しくかつ分かりやすく伝える」ということが、アナウンサーの最も重要な役割の一つであることは、この先もきっと変わらない。

だが、全てにおいて「アナウンサーの涙=悪」にする必要もないし、“べき論”で無理に抑制されなくてはいけないものではないと思うのだ。

アナウンサーも1人の放送局員であり、人間だ。時に喜怒哀楽の感情が溢れてしまうのは自然なことで、それによって見ている人の心に何か伝えられるものがあるのだとしたら、時として、言葉で伝えること以上に意味のある「伝達」になる。

余談だが、TBSの安住紳一郎アナは自身が司会を務める朝の情報番組『THE TIME,』のオープニングでのボージョレ・ヌーヴォー解禁のニュースを伝えた際、「飲まない」と言っておきながらも、最終的には欲求を抑えきれずに気持ちよく飲んでいた。奇しくも、朝の番組のオープニングでだ。

これが意図的だったかは分からないが、1杯のワインを前にして飲まないで言葉でつらつらと情報を伝えられるより、飲んで率直な感想を伝えてくれた方が「飲みたい」という気持ちが伝わってくる。

これも、アナウンサーの言葉ではなく、行為そのものが視聴者の心を捉えた例だ。

今回の鈴木アナの涙は「鈴木アナの涙で涙腺が崩壊した」「テレビの前で私も全く同じ状況でした」「素直に泣いていいんだよ」とネット上で話題となり、多くの共感を誘っていた。

抑えきれない涙が視聴者の胸を打ち、朝ドラのファンを一人でも増やしたならば、結果として一人の放送局員としての役割を果たしていたと思う。

鈴木アナの「涙」には視聴者に訴えるものが、確かにあったと筆者は感じた。皆さんは、どう受け止めただろうか。

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Source: ハフィントン・ポスト